「何もしない人」というレッテル貼りは卑怯

折鶴の件についてなんだけど、俺がああいう「ポーズで善意を掲げる人」について感じてる印象は

  1. きついことはしない
  2. 相手のことは二の次
  3. 見えるところでやる
  4. 善意はすべて肯定されなければいけない

こんな感じかなと。
個人単位でやる小さな善行がワールドワイドに開示されてる必要なんてないと思う(当然ユニセフとかの規模で収支が透明じゃないとかはダメ)し、相手のことを考えると否定されることだって当然あると思うんですよ。


なので、俺は基本的に(禁酒のときは書いたかも)いくら募金したとかいちいち報告することはしないし、多くの人もそうだと思う。でなきゃネットにはもっと「今日はコンビニでお釣り○円募金した」なんて書き込みで溢れてるはずでしょう。あの箱って意外と貯まってるし。
だから「何もしていない人は口を出さないで下さい!」って言いがかりは凄く卑怯だと思うんですよ。これに反論するために「○円募金したから口を出します」と名乗り出るのは凄くみっともないし、反論するためにこんなもんを提示しなきゃいけないってのがそもそも馬鹿げてる。
でも「善意はすべて肯定されなければいけない」という考えで凝り固まってる人が貼った「何もしていない人」というレッテルをはがさずにどんな話をしても、この人たちは耳を傾けることはないわけで。


例えが悪いかもしれないけど、泥棒に「盗みをやめるんだ!」と諭そうとしたら「盗みをやらないお前に俺の気持ちがわかるか。説得したかったらお前も盗みをはたらいてみろ」なんて言われても困るわけでしょう。
相手を諭すのに同じ土俵に立つ必要があってはいけないと思うんだけど、諭される側がそれを要求してきた時(=さもなくば「あーあーきこえなーい」の時)どうすればいいのかわからない。