口喧嘩の壁打ち

俺は無口というか会話下手なので翌日の会話をシミュレートするとか書いた覚えがあるんだけど、これをやってる時に自分の真剣な主張を否定されてイライラするパターンを予測して勝手にイライラするという悪い癖がある。

一昨日の壁打ち

で、電車の吊広告を見たらサッカー日本代表のWC進出に際して選手全員にインタビューだとかいう記事が載ってる雑誌の広告が目に入って悪い癖が始まってしまった。はっきり言って俺はスポーツニュースとかほとんど興味がない。飲みに行った店で「今日サッカー見ないの?」とか聞かれるのもうざってえくらいだ。
そんな流れでサッカーの話題になったときに「日本代表が勝ってなんか嬉しいのか?」と俺が言ってしまう予想をした。最近はこんな余計な一言を言わないようにしてるが、あくまでもし言ってしまったときのシミュレーションだ。

俺:「サッカー日本代表が勝って何が嬉しいの?」

最強伝説黒沢』で黒沢が「感動などないっ・・・・!」とか言うけど、俺はそれに近い考えを持ってる。黒沢の言う「所詮は他人の感動」というといまいちピンとこないのだが、自分の努力などの積み重ねの伴わない勝利に感動なんてあるわけがないのだ。日本代表選手は頑張ったから感動するだろう、代表を争った選手も「俺に勝った奴が世界に行くなら俺も鼻が高いぜ」と感じるだろう。テレビの前で騒いでただけの奴がなんで感動するのか全くわからん。お前ら今まで彼らと同じ土俵に立とうと思った事があったのか?自分と無関係の人間が勝ってなんで嬉しいんだ?俺は俺の努力と俺の勝利でしか感動しないぞ。

感動するための要素:達成感

俺は何か欲しいものがあるかと聞かれたら「達成感」と答えるようにしているんだが、これに対して「欲がない」と答える奴が理解できない。「達成感」なんて努力の積み重ねとそれによって得られる結果が揃ってはじめて手に入る物なのに、貪欲に「達成感」を求める俺を見て無欲だと思う奴はどんな生活をしてるんだ?
努力なしで偶然得た結果で達成感は味わえないし、日常的に続けて苦にならなくなった努力をで得た結果でもいまいち達成感が味わえないんだが、どういう生活をすれば日常的に「達成感」を味わえるようになるのだろうか。

相手:「たかがゲームじゃん」

で、まあ割とお手軽に達成感を味わうためにポップン漬けの毎日を送ってるわけなんだが、こういう話をすると「たかがゲームじゃん」とバカにされる。「サッカー日本代表が勝って何が嬉しいの?」→中略→「たかがゲームじゃん」というわけでイラッとくる。先に喧嘩を売ったのはこっちなのでイラッとくるのはお門違いかもしれんが、丸2年以上来る日も来る日も続けてきた努力を「たかがゲームじゃん」の一言で片付けられるのが気に食わない。というか何故ゲームだと真剣になれないのか。金払って「たかがゲームじゃん」と斜に構えて途中で投げ出す神経がわからん。そのくせ映画では感動するんだ。イライラ。
俺:「真剣にやってないからゲームで感動できないんだろ。グラフィックがきれいなだけのゲームでもしてろよ」イライラ。
俺:「「たかがゲーム」と思うのは勝手だけど何か目標立てて努力してることがあるのかよ」イライラ。
俺:「俺はゲームを真剣にやってるから負ければ悔しいし、勝ったら嬉しい。悔しい思いをしたくないがために真剣になれないのならうんこ製造機でもやってればいい」(なんとなく言い負かした気がしたので妄想終了)。

とまあ

こんな感じで一人で勝手にイライラして、心拍数と血圧上げてるのは健康に良くないと思うんだが、実際にこんな会話になりそうな相手とはスポーツの話にならないように気をつけてるのでいくらかマシ。実際こんな糞みたいな口喧嘩したくない。
口喧嘩の壁打ちマジオススメ。