自由度が高いと何もできなくなる

自由研究は自由度が高すぎてクソゲー

夏休みももう終わりですね。夏休み後半になると文房具屋なんかに自由研究コーナーができて、自由研究用のキットなんかが売ってたりするんだけど、キットの指示に従ってやって何が「自由」か!他人に何かを強制されると声高に「自由」を主張するくせに、「自由」を任されると結局ガイドがないと何もできない、児童の自主性を尊重した課題がそんな現実を浮き彫りにする。

大学のレポートは自由度が高すぎてクソゲー

そしてそいつらが進学して大学に入るときっとレポートをコピペするようになるんだろう、レポートに書く考察なんて結果から考え付くことそのまま書けばいいのに「そこが難しい」と主張するバカがいて愕然とした。結果に対して考えることすら「自由」にできないらしい。

雑談が許可されると自由度が高すぎてクソゲー

小6の時の隣のクラスの担任の話なのだが「私語がうるさいとき『静かにしろ』と言っても全然静かにならない。『何でもいいから話せ』といったら静かになるの。ちゃんちゃらおかしーや」一部適当にいじったがそんな話があった。
自由を与えられると結局何をしていいかわからなくなって、結果的に何もしなくなる例の一つ。

自由度の高すぎるゲームはクソゲー

蛇足
GTAより自由度の高いゲームっつうとハーフライフってそうなのかな?やってないので例にできませんので、現実世界のコピーといえるレベルのゲームを想定してください。
実生活で神の声が聞こえることは特にないので「次に何をすべきか」の指示は一切出ません。

自由度の高いゲームで人のとる行動って?

で、上記の学校の例では「自由」を与えられると結局何もできなくなる例を示したけど、ゲームではどうだろうか。
1.何をしていいかわからないのでとりあえずネットで情報収集
これは上の例と大体一緒なんだけど、「ゲーム」なんだからとにかく「何かしなくちゃいけない」と駆り立てられ、ネットの人に指示を仰ぐケース。
2.とりあえず普段の生活でできないことをしてみる
殺し、盗み、レイプ。とりあえずこの3つは実生活でやってみたい衝動に駆られたことは一度くらいあるんじゃなかろうか。でも普通の人は自制心が勝つのでやらない。ゲームなら「捕まらない」し、「実際に困る人がいるわけでない」ので自制する必要がないのでとりあえずやってみるんじゃないかと。
3.特に変わった事は何もしない
人波や車の流れを見るだけとか、ドライブするだけとか、普段の生活と変わらないようなことをしてみる。街のモデリングや、人の動きがリアルだとこれだけでも結構楽しめたりするものだと思います。

実際の「自由度の高いゲーム」って

「目的」だけ与えられて、達成の方法が「自由」なゲームを指すよね。↑みたいな「目的」のないゲームって楽しみ方が難しい。というか、ゲームの作り手はゲームという手段で「楽しみ方」を与えなかったらただの「投げっぱなし」なわけで「あまりにも自由度が高すぎるとクソゲー」だわな。

まとめ

まとめるつもりで書いてないので結論も特にないです。
最初から見出しでクソゲークソゲーっつってんのはこじつけだし、あまりにも自由度が高すぎる架空のゲームがクソゲーなのもこじつけなので突っ込み不要。