童貞という名のエデン

今日は「もっと下がいる」という主張から「童貞である事の優位性」を説いていきたいと思います。
まず、世の中には「童貞」と「恒常的にセックスできる非童貞(モテ非童貞)」と「恒常的にセックスできない非童貞(非モテ非童貞)*1」がいるということを考慮すべきである。
そして、真にセックスについて悩んでいるのは非モテ非童貞だと言いたい*2

セックスという果実の生る樹

「童貞」はその果実を食べた事のない者
「非童貞」はその果実を食べた事のある者
「モテ」はその樹に登れる者
「非モテ」はその樹に登れない者
「非モテ非童貞」は落ちてきた果実をたまたま食べた物
セックスが好きな「非モテ非童貞」はたまたま食べた果実が甘かった
セックスが嫌いな「非モテ非童貞」はたまたま食べた果実が酸っぱかった
童貞の弁「あの果実は酸っぱいに違いない。よしんば甘かったとしても食わなくても死なないし」
モテ非童貞の弁「マジうまいから。登ってきて食えばいいのに」「騙されたと思っていっぺん食ってみろって」
セックス嫌いな非モテ非童貞「騙された!あの果実は酸っぱかった。もう食わない!」
セックス好きな非モテ非童貞「あれは確かにうまかった。また食いたいなぁ。落ちてこないかなぁ」

セックス好きな非モテ非童貞は生涯地を這う。

童貞=悪という図式

こんな物はマスコミなんかによる印象操作によって作られた悪であることは童貞諸氏が声高に主張していることである。俺も全くその通りだと思う。全くの冤罪なのだから自らの無実を主張するのは当然だと思う。
こうやって「童貞=悪」という強迫観念を植え付けようとするやり方はセックス好きな非モテ非童貞が、自分たちと同じ悩みを抱えるように仕向ける罠だと考えた方がいい。「童貞で何が悪いか!」という話なら「俺たちの苦悩を知らないのが悪い」という事だろう。「同じ地獄に落ちてこい」というわけだ。

知らないままでいたらきっと幸せだった

「人肌恋しい」という感覚なんて知らなくてもよかった。セックスの良ささえ知らなければセックスを否定して生きられたはずなんだ。セックスする事もセックスを否定する事もできない非モテ非童貞の悩みが童貞にわかってたまるか。童貞の頃よりいっそう深まった孤独感を味わいたいか?
手を繋いだり腕枕したり添い寝したり挿入したりしたときの感覚が童貞にわかるか?俺たち非モテ非童貞はそれを知っている。これは童貞に対する非童貞の優位性として言ってるんじゃない。不相応な果実の味を知ってしまった非モテ非童貞からの警告だ。
童貞はセックスになんて興味を示さず飄々と生きていればいい。



だから俺は風俗に行く。セックスという果実とは似て非なる何かを買いに。

*1:非モテがセックス!?と思うかもしれないが、何かの拍子に経験してしまったりすることがある

*2:更に細かく言うと非モテ非童貞にもセックスの好き嫌いがあると思うけど、セックスが良いものだと思った非モテ非童貞の話ね。「セックスなんて巷で言われてるほどいいモンじゃない」と思えた非モテ非童貞は除外