メイド喫茶もう飽きた

市場はまだアツいと思うから「終わった」とは思わないけど、提供者側から「さあ萌えろ」って提示された「萌え」に萌えることがオタク的にぬるいんじゃないのかなぁと思うわけで。作者が作中で提示してない部分で勝手にカップリングして萌える「同人的な楽しみ」がメイド喫茶にはないんじゃないか?
アキバ王選手権*1の時にも感じたが、今のアキバって消費するだけの買い専が席巻してるような感じがする。
もちろん市場に消費者が多数いる事は間違いではないはずなんだけど、オタクって自分で何かを作れる生き物なんじゃないの?萌えのないところに萌えを見出してこそオタクなんじゃないの?
と、いうわけで俺が萌える喫茶店のシチュエーションを勝手に書きます

  • 40代半ばくらいのオジサマが脱サラしてはじめた小さな喫茶店
  • 頬がややこけていて陰があり、口ひげをたくわえたマスター
  • 大学生くらいの娘がたまに手伝っている
  • 奥さんは店に出てこない
  • 娘かと思ったら実は奥さんだった!

「オジサマが脱サラして始めたような喫茶店」が近所にあるんでたまに行くんですが、いつも「大学生くらいの娘が手伝ってたら完璧なのになぁ」とか考えてるわけです*2。こういうオタク的な思考活動が必要だと思うんです。
3番目を「高校生の娘がセーラー服の上にエプロンして手伝っている」に置き換えるともっと多くの人が萌えるかもしれません。

*1:自作PC方面を全く紹介しなかった、出場者5人中4人が買い手側

*2:実際は若奥さんみたいな感じの人が手伝ってる。二人の関係は不明。夫婦喫茶ではいまいち萌えきれない