「報道のせい」

マスメディアが「ゲームのせい」と言うときはかなり断定的にいうケースがよくあるのに、「この事件は先日の○○の事件に影響された部分があるのかもしれませんね」と言うときは絶対に「報道のやり方に問題がなかったのか、今一度考えてみる必要があるかもしれません」すら言わないよね。明言はしていないけど、「模倣犯が生まれたのは元になった事件の犯人が悪い」ってことにしようとしてるよね。元になった事件の犯人には既に「悪者」という属性がついてるからといって、報道が負うべき責任まで押し付けるなと言いたい。
今朝のとくダネで岡山での事件についてそういう事を言っていたのでここぞとばかりに書くが、この間の荒川沖駅の事件の報道で、あのおびただしい量のまだ乾いていない血液がばら撒かれた床の映像を何度も流す必要があったのかと問いたい。ゾンビを倒すゲームですら「ゾンビの体液が赤いから18禁」とかのレーティングが行われているのに、レーティングも糞もないテレビであれを流しても問題ないのかと。
普通の駅の映像に「殺人事件のあった○○駅」というキャプション入れるのと、大量の血液が付着した床の映像に「トマトジュース祭り」というキャプション入れるのと、大量の血液が付着した床の映像に「殺人事件のあった○○駅」というキャプション入れるのとでは受ける印象が全然違う。
「フィクションであるゲームごときに影響される人間がいる」と断定できるのに、なぜ「ノンフィクションであるニュースの映像に影響される人間がいる」という想像がなぜできないのか。「殺人の瞬間の映像ではないから影響されない」と思っているのであれば想像力が足りないとしか言いようがない。ストーリーが「フィクションかノンフィクションか」という一点が「泣くべき作品か否か」に影響する人間だっているんだから、「実際の殺人現場」と言われて血を見せられたただけで殺人衝動に発展する人間だっているだろう。


どうせ「こういう絵を入れれば視聴率取れるだろう」くらいの考えで流してるんだろうけど、自浄作用もなく批判意見に耳を傾けないマスメディアのことだからそのうちスナッフビデオと変わらない映像が流れるようになるんじゃないか?


つーか撮れた映像が短いからなんだろうけど、一回一回を短くチラチラチラチラ混ぜてくるのはサブリミナル効果に近いものがあったりするんじゃないか?チャンネル変えなかったらそれほど何回も見ないと思うけど、ザッピングしながら見てたらかなり見る。しかも今春休みでヒマな中高生が朝のワイドショー見てるだろ。これはもう何件かは起きるな。そしてしたり顔で「狂った中高生」とか言っちゃうんだぜ。